2012年05月09日

日本語学習

日本に帰ってからヒンディー語、マラーティー語の勉強を全然やっていない。自宅で学習しようと本とか雑誌を買って帰ったのだけど、一度も開かず。3月4月は忙しかったので、これにめげず、今月から曜日を決めてしっかりやろうと思う。ということで、今日から。水曜日は語学の日にしよう!

一方、うちの夫は、4月から日本語のクラスに復帰して、週3回、2時間ずつくらいの授業に出ています。2年前はレベル別の総合クラスに出ていたのだけど、今回はオーラル、リスニング、文法という分野別クラスを選択。それぞれの指導法の特徴がなかなか興味深いです。たとえば、会話や発表の練習をするオーラル・クラスでは、語用論的な指導が徹底されています。何か意味を伝えるための記号とか道具としての日本語を教えるというよりも、日本語会話の文脈や雰囲気をわからせて、より日本人らしくふるまえるようにしようというもの。文法クラスは別にあるので、オーラル・クラスとしては理にかなっているとも思うのですが、そこで教えられている日本語的ふるまいというのが結構おもしろい。

たとえば、発表の練習のために、教科書とかプリントに見本の原稿が用意されているのですが、その原稿にやたらと「えー」とか「あのー」「えーっと」ってのが挿入されている。結構ランダムに入れられているように感じるので、その「えー」付き教科書原稿の読み練習を家でしているのを聞くとかなり不自然なのですが(頻繁に文章が突然切られて「えー」とかが入る)、やっぱりうまく「えー」が言えることが日本語会話への第一歩なのでしょうか。そういえば、『日本人の知らない日本語』に、日本語がしゃべれるのにタバコ屋のおばあちゃんにいつも逃げられていた白人のオーストラリア人が、「えーっと」からしゃべりはじめた時、初めてそのおばあちゃんが聞く耳を持ってくれたという逸話が載っていました。

あと、人に依頼をするとき、突然言うんじゃなくて、小出しにするみたいなテクニック。これも、家でやられて……

夫「すみません、ちょっと、よろしいでしょうか?」
私「何?」
夫「あのう、実は、ちょっとお願いしたいことがあるんですが…」
私「うん、何?」
夫「あの、今日の宿題のことなんですが…」
私「だから何?早く言ってよ!」

とイライラしてしまったのですが、これもちゃんと教科書に載っている順番通り。最初に「あのさ、今日の宿題の○○って××なの?」くらい簡潔にまとめて言ってくれればいいものを。ちなみに、受け答えるほうの模範解答は@「ええ、いいですよ」A「はい、何でしょうか?」B「ええ」というふうに、忍耐強く相槌を打ちながら、依頼者側の次の言葉を優しく促さなければならない。はー、めんどくさい。とはいえ、先生とかに何かお願いするときは、私も普段これくらいの感じでやってるかもなぁ。

ちなみにこれは、@依頼の仕方と、A「誘う→断る」という回の応用編で夫が書いた作文です。微妙にクレイジー、かつまともっぽいのに意味不明で笑ってしまったのですが、先生もちゃんと笑ってくれたとのことでよかった。

犬と狸 1.JPG
犬と狸 2.JPG
(読みづらいところもあるけど、写真を2回クリックすると大きくなります←おすすめすぎ?)

あと、こちらは友達のことを説明するっていう課題のメモみたいなんだけど、読んでみたら…

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なんとなく私のことを言われている感が。「とても」を追加するくらい「思いやり」を評価されているのは結構意外でしたが、これは聞いてみると、私がよく他人に対して文句を言っているからで、相手の細かい欠点が気になるということはセンシティブだからだと説明されました。それって全然「思いやり」とは違うと思うけど…。「しらない人にたいしてきちょうめんじゃない」というのは、「他人に対して鈍感、気遣いができない」くらいの意味かな?と思って聞いてみたら、よく道で人にぶつかったりしてるからだそう(そうなのか、私は?)。あと、「愚痴っぽい」ってことも追加したかったらしいけど、言葉がわからなかったそう。はぁ、まあそんな私、思いやりをもって、人にぶつからず、愚痴を減らして生きていこうと反省しました。

【府中生活 - 2012 -の最新記事】
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2012年04月02日

帰国、近況

2月末に帰国し、1ヶ月かけて徐々に引越しを行い、先日やっとモロモロのことが済んで新生活が始められるかんじになりました。でもなんか、ここ数ヶ月間ずっと移動と引越しが生活の中心だったので、今ちょっと、新学期にもかかわらず燃え尽きたというか、自信喪失というか、まあいつも通りといえばそうなのですが、そんなかんじです。

新しく住む場所も、東京のタマエリアです。だいたい東京の西のこの辺、ってことで今までひとくくりに考えていたものの、やっぱり市によって全然雰囲気は違うんですねぇ。小金井の田舎生活がすでに懐かしい。最寄り駅は国分寺なのですが、国分寺のブルジョア・ボヘミアンなかんじも、府中市境を超えるとすでに失われて、ちょっとワイルドな郊外になる気がします。刑務所と競馬場で市財政は潤っているそうですが…。ここから国立へ行くと、ブルジョア・プロパーの余裕を体感します。というわけで、府中生活の始まりです。

ちなみに、旅先のヨーロッパでは、ブログを書いたイギリスが一番ハイで、その後だんだん疲れてきて、かつプラハではカバンごとパソコンもなくして絶望の淵に立たされたのでブログを書くどころではなく。楽しい旅の記録を残そうと最初は張り切っていたのですが、全然更新できませんでしたねぇ。プラハ駅は置き引きが多いそうなので、みなさんもお気をつけて。インドでは覚えている限り盗難にあったり大事なものをなくしたりってことがなかったので、これはショックでした。後はパリでウエイターにキレられたり。ヨーロッパは怖いところだ。

さて、そんなかんじで、新学期。とりあえず目先のことだけを考えて、着実に生きていこうと思います。
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2012年02月08日

イギリス

感傷に浸りつつもバタバタと準備してムンバイを引き上げ、ロンドンに到着。暖かい下着とか靴下、古着のセーターとかブーツを仕入れて、雪の中荷物を引きづって大学のある街へ。そこで開催されたシンポジウムでの発表を終えました。

今回の1ヶ月のヨーロッパ旅行。来るまでは気忙しくて楽しみに感じるどころじゃなかったし、朝夕長袖がいるかな、くらいのムンバイの冬ですら寒い寒いと思っていたのに、毎日薄暗くて寒いと聞く真冬のヨーロッパで、家もなく、荷物をほどいたりまたパックしたりしながら、言葉も分からない国々をさまようのって正直ちょっと気が重い、と思っていたのです。これがゴア1ヶ月、とかなら安心だったのに。

で、実際に来てみると、暗くて寒いのは確かだけど、結構よい。やっぱり新しい場所に来るとなんでも珍しくて興味深いし、旅行者の立場で気軽に興味を持っても持たなくてもいいっていうのが楽。インドでは自分の限界を日々意識して、ちょっと閉塞感を覚えていたかも。外に出てみると、改めてインドってやっぱり興味深いなぁと思えるし。結構爽やかな気分です。

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* 最初に2泊したCricklewood。一応テクニカルにはロンドンらしい。

今回は完全に夫プロデュースの旅で、嬉々として、というか夜も寝ずにランランと緻密な最安旅行プログラムを組んでくれました。すべてのチケット、ホテルは予約済み。ロンドンでも格安ホテルを探して予約してくれていたのですが、行ってみると、ここ、ロンドン?ってかんじ。高い建物は全然ないし、小ぢんまりした田舎町ってかんじでした。移民や労働者が多いエリアらしく、南アジア〜中東系と思われる人たちの食料品店が沢山。初日はファラフェルを食べて、次の日は近所のカフェ(これも夫が事前にチェックしていた店)でイングリッシュ・ブレイクファースト。

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* 5ポンド(612円)床屋

そういう土地柄だからかはわかりませんが、びっくりしたのは、レストランとかカフェの中でも寒いこと。ヨーロッパの冬は寒くても建物の中は暖かいんだろうと思っていたのですが、基本的にコートは脱げないかんじです。しかも、蛍光色ベストの警備員やペンキがついた作業服を着た出勤前の皆様で賑わう人気カフェでは、コーヒーがネスカフェ。紅茶もティーバッグごと出てきました。

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インドでは紅茶と言えばティーバッグ、コーヒーはインスタントのネスカフェが定番だけど、それはインドの劣化版ヨーロッパ文化なんだろうと思っていたら、イギリスが本家だったのか。もっと街中ではコスタ・カフェの寡占状態ですが、それもムンバイみたい。他にも、若者のファッション小物とか、いかにもボリウッドっぽいムンバイ・ブランドだと思っていたものが、実は堂々とロンドンにあったり。インドを責めるべきじゃなかったのね。

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* ジプシーの結婚を紹介する?テレビ番組の広告と、草間彌生展のポスター

今はモーテルに4泊連泊中ですが、明日から再び移動の日々。レンタカーで北イングランドに向かいます。
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引っ越し引っ越し

11ヶ月のインド生活を終えて、イギリスに来ています。

とりあえず、引っ越しに関するもろもろの備忘録。

今回も荷物を段ボール4箱分インドから日本に送ったのですが、前回、船便で6ヶ月かかった経験を生かして、航空便で。というか、前回のブログを見ると「レシートはとっておかないと」とか言ってるけど、それに比べたらずいぶんしっかりしてきたな、私。航空便で1ヶ月と言われたけど、トラッキングを見ていると2週間でとりあえず日本には着いたみたいです。

ムンバイの郵便局から国際便を送るには、係りの人によって違うかもしれないけど、今回はまず中身を見せるように言われました。だから、ガムテープでぐるぐるにしていったけど、もう一度パッキングし直すはめに。閉じずにいくのがいいみたいです。で、相変わらず4年前と同じおじさん(郵便局職員じゃないけど、これを生業にしているらしい)に薄い白い布を巻いてもらうプロセスを経なければならない。「土曜だから高い布の店しか開いてない」と言われて、布代とパッキング(布を段ボールに巻きつけて、縫う)に200ルピー。郵便代は本とか服とかで11キロと16キロの段ボールで5650ルピーでした。(1キロ200ルピー、1ルピー=約1.5円)

後日、出発間際に残りの荷物を送りに行ったのですが、その時告げられた新ルール:
- 鞄では送れない(かも): トランクに荷物をつめて丸ごと送ろうとしたら、箱じゃないとダメだと言われた。周りには鞄の郵便物置いてあったし、鞄で日本に荷物送るって話も聞いたことあるけどなぁ。隣の人は白い布を巻けばOKみたいなことを言ってたから、それも担当者の采配によるのかもしれないけど。
- 国際便は20キロまで: だそうです。20キロ以下に分けて送るしかないらしい。

この時点で、時間もあまりなかったし、郵便局に腹が立って、金ならあるぜ!(ないけど)、とプライベートの郵送会社(DTDC)を使うことに。

近所のオフィスに行ったら、そこで、電化製品(コードなども含む)はFedExでしか送れないことになっている、と言われる。デスクトップのパソコンと周辺機器を送ろうとしていたので、仕方なくその会社にパソコン関係だけFedEx経由で送るようアレンジしてもらう。結果、エコノミー便にしてもらって、段ボールひとつ(約20キロ)が11,200ルピー、パソコンが13,690ルピー。郵便局に比べたら3倍くらい高いけど、箱もくれるし、梱包もきっちりしてくれるし(儀礼的な布とかじゃなくて近代的な)、対応も丁寧だし、サービスに関してはなかなか満足でした。でもカードが使えなかったので、とりあえず郵送会社に荷物を置いて、大家さんに敷金を返してもらいに行って、最後のルピー・キャッシュで無事郵送できたのでした。

で、第一便は早くも日本に着いたらしく、空港から実家に電話が。コンタクトレンズを安く買って何箱か送っていたのですが、個人使用で2ヵ月分しか送れないそうなのです。残りは破棄手続きをとらないといけないということでしたー。

家電は、前回の引っ越しではCraigslistで売ったのですが、今回インドでは一般的じゃなさそうだし、どうしよう、と思って、周りの人に声をかけつつ、Facebookにとりあえず写真を載せてみたら、大好評。特に、日本で売ろうとした時は買い手が全くいなかった冷蔵庫、洗濯機が引く手あまたでした。インドでは欠陥品とか中古品でもなかなか値段が下がらず、お店で平然と売られていて困ることも多いのですが(「洗濯機の蓋取れてて閉まりませんけど」「うーん、じゃあ特別に、5%オフ!」みたいな)、売る側からしたら結構いい環境ですね。壊れたラップトップも、日本の約3倍の値段で売れたし(日本で見積もりが1000円だったのが、スピーカーとセットで2500ルピー)。そして、ミドルクラスの家庭でも、私が思っていたよりも結構家電を持っていないみたいですねぇ。今どんどん売れているところみたい。自分が買いたいって人以外にも、家族が欲しがっている、友達が欲しがっている、メイドが欲しがっているなどなど、まったく予想外に問い合わせがたくさんきて、うーん、まだまだ知らないことがたくさんあるなぁと思わされたのでした。
posted by tamako at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ムンバイ生活 III - 2011 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月27日

年の瀬

メリー・クリスマス・ポストを書こうと思っていたら、もうクリスマス終わってしまいました。クリスマスクリスマス
まあ、今さっきも近所のモールからクリスマス・セールの携帯広告が入ったりして(クリスマス後のセールではなく、まだクリスマス・プロパーなかんじの)、周りはまだクリスマス仕様ですけどねぇ。

さて、今年も残すところわずか。相変わらずバタバタと落ち着きのない一年でした。今年は特に、浮き沈みが激しかったかな―、主に低めのほうで。起き上がれないくらいのディープ沈みと、「あーやっぱりダメ」とため息をつき続けるくらいのライト沈みを行き来しつつ、たまに張り切る、みたいな。深刻ではないのだけど、自分でもちょっと厄介だと感じるくらいのレベル。風邪とか体調不良もやたら多かったし。来年は、精神的に落ち着いて、風邪をひかず、毎日同じことができるようにしたいです。今年の不調はインドのせいだったと思いたい。

いろいろブログに書きたいこともあったのだけど、なんとなく書けず。書きたかったことは、カズオ・イシグロにはまったこととか、インドで流行っている文芸系のフェスティバルのこととか、ってそれくらいかな。

今年は調査の年ということもあり、一年前は、一年後には全く別の私にメタモルフォーゼしていると本気で信じていたのですが、まあ変わりなかったです。自分の限界に対する諦念の感みたいのは芽生えたか。ぐんぐん未知の領域へ伸びていくぞ!みたいな気概が、わりと去年くらいまではあったのが、今は、まあとりあえずこんなくらいしかできないけど、その中でできることをやってみよう、という気分です。

あと、今年はずっと一人で活動しているので、今考えていることを発表して評価を受けないとまずいんじゃないかと不安なのと、業績ポイントを稼ぐため、後半いろいろ出しまくりました。振り返ってみると…

7月:南アジア関係のイギリス系の雑誌に英語論文投稿 → 結果待ち
9月:イギリスである国際シンポに応募 → 2月発表
11月:ムンバイの雑誌に英語の研究ノート投稿 → 結果待ち
12月:J学会応募 → 結果待ち
   インド系研究会応募 → 3月発表

1月:イギリス・シンポのペーパー締切 (発表用とは別に、特集号用の論文も…?)
   +書評も書くべき?

と、こんなかんじ。今のところ出すばっかりで成果は上がっていません。発表の要旨は通っても、どういう反応なのかはまだわからない。雑誌は今のところ受領確認しか来てなくて、査読にどれくらいかかるのか謎だし、ずーっと待ち続けてリジェクトされるってこともあるわけだものねぇ。来年、豊作となるか、玉砕となるか。そして、今出せるだけ出しまくったけど、来年は発表と書きなおしでものすごく忙しくなるんじゃないだろうか…。でもまあ、いつでも書けるわけでもないし、書けるときに書いとかないとね。量産型でいけばそのうちなんとかなる、か?

そんなかんじで、年末年始もまだまだ仕事をしないといけないので(もちろん調査も…)、あまり深く落ち込まないことを目標に現状維持でがんばります。

みなさま、よいお年を!

タグ:研究生活
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2011年11月12日

ボリウッド雑感

以前書いた“My Name Is Khan”の記事にコメントをもらったので、それに関連して思うことのメモを。

つい一年前、ボリウッド映画は現実的なファンタジーだと言って、ハリウッド映画のスーパーヒーロー物との差異を主張していた俳優のシャー・ルク・カーンですが、今年のディワリ祭(10月26日)に公開された3D映画 “Ra.One” ではいけしゃあしゃあと空飛ぶスーパーヒーローを演じています。それも、ターミネーター、スーパーマン、マトリックス、アイアンマンすべてを混ぜたザ・スーパーヒーロー。あと、“My Name Is Khan”との共通点でいうと、アスペルガー症候群とロボットというそれぞれの主人公を、シャー・ルクが同じ演技で表現していたのも印象的でした。

ともあれ、“Ra.One”はスーパーヒーロー物でありながら、やはり物凄くボリウッド的。私は公開初日に観に行ったので、大興奮の客席でお祭り騒ぎに浸りつつ、久々に大画面で拝むシャー・ルクの姿をうっとり堪能しました。そして改めて感じたのは、ボリウッド映画界のPCフリーさ。いろいろな検閲は問題になっていますが、政治的に正しくあるために表現や言葉を規制するという感覚はまったくないらしい。そのために、やれやれ、と思う部分も多いけど、なんかこれだけ影響力のある国を挙げた一代産業の目玉映画でまったくPC無視っていうのはすごいのかもしれないと思えてきた。

“Ra.One”の主人公、人間版(?)はイギリス在住の南インド人のゲーム・メーカーなのですが、この描写がまずひどい。くるくるカールの変な髪形で、ルンギ(腰巻)を巻いて、ヌードルにヨーグルトを混ぜて手で食べる。その形態を差し置いて南インド人を一番ムカつかせたのは、フェイク・アクセントだそうです。あとは、なぜかアカシさんと言う名前の中国人親子(中国語をしゃべっていたけど、制作側が何人として意図していたのかは謎)が出てきて、周りの人にジャッキー・チェーンと言われるたびに猛烈に怒るというよくわからない(教育的?)ネタも。

で、新聞のレビューはいつも通り大まじめに、「あんな南インド人はいない」とか、「ドタバタ劇があまりにバカげていて見苦しい」とか「筋書きに欠陥がある」とか「ハリウッドのコピー」とか批判する。私の周りのミドルクラスの友人達の反応も同じようなものでした。ボリウッド側は明らかに意図的に、ハリウッド映画をベースに、べたべたのステレオタイプを使って、むちゃくちゃな筋書きのドタバタ劇を作り続けているのに、それに対して新聞や雑誌が毎回素直に文句言ってるのもなんか不思議。書き手はずっとボリウッドのレビューをしてきているんだから、その文脈でもう一歩踏み込んで違うことが言えるんじゃないかと思うのだけど、そうやって「エリート」達にバカにされつづけるところまでがボリウッド映画界の役割なのかも。

“My Name Is Khan”でも、このハイパー・ステレオタイプが大事だった気がします。カジョールのいつもながらの元気でキュートだけど感情に流されて我を忘れてしまう「女の子」役、ジョージアの太った黒人女性、「ママ・ジェニー」とゴスペルを歌う貧しいけど素朴で人のいい黒人たち、洪水に襲われたその黒人たちの村を集団で助けに来る「善きムスリム」達。「善きムスリム」軍団がじゃぶじゃぶ水につかりながら救援物資を運んでくる場面では、「ここまでやるか…。ここまで描かないとダメなのか…」と絶句してある意味胸を打たれました。なんだかんだ言って、私はこの映画、涙なしでは見られません。この破廉恥なほどストレートなボリウッドのストーリー・テリングの力に赤面しつつも圧倒されてしまうのです。

ちなみに “My Name Is Khan”の邦題は『マイネーム・イズ・ハーン』になっているみたいですね。シャー・ルク・カーンにアーミル、サルマンを加えたボリウッド界の三大カーンも普通「カーン」表記だし、「ハーン」には聞こえないので違和感はあるのですが、片仮名ではウルドゥー語の喉音のkhanが表記できないので、hの部分を強調するためには仕方なかったのかな。この喉音は、ボンベイ辺りではヒンディー語話者のインド人も結構無視しているので、「カーン」と聞こえるし「カーン」と言えば通じます。映画の中でも、ヒンドゥーでヒンディー話者のカジョールが「カーン」と発音しているのに対して、シャー・ルクが何度も「違う、khanだ。喉音のkhan」と言い直していたので、重要なポイントなのかも。ウルドゥー語とヒンディー語は文字が違って、ウルドゥー=ムスリムの言語、ヒンディー=ヒンドゥーの言語ということになっているけど、会話レベルでは同じと言っていいようなかんじなのですが、この喉音を含めた発音はウルドゥー語の方がかなり複雑らしい。ボリウッドはヒンディー映画本流ということになっていますが、ボリウッド俳優を目指す人は、美しいウルドゥー語発音ができるように、ウルドゥー語教室に通うそうです。

(マラーティー語教室では、日本語の感覚で「カ」というと"kha"になってしまうので、普通のソフトな"ka"が言えずに苦労しました。カラスの「カ」は"kha"だけど、スイカの「カ」は"ka"らしい。)
posted by tamako at 20:22| Comment(6) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

不調な日々とランダムな活動

9月の初めに久々に高熱を出して1週間くらい寝込んだのですが、その後、体は治ってもなんか調子が悪く、しばらくぐずぐずと落ち込んでしまいました。が、それではイカン、と自らを鼓舞し、新しい調査を始めようとしたのですが、それがことごとくうまく行かず。アプローチした組織からは調査許可が下りず、個人的なメールやメッセージは無視され、電話はつながらず、会いに行けば叱られる。手紙は返される。助手を雇えば大喧嘩して2日で決裂(2年前と同じ彼ですが)。そうやって焦りつつもやるせない日々を過ごしていたのですが、ごく最近、もう調査期間もほぼ終わり(まだ3ヶ月以上ありますが)となってみると少し落ち着いてきました。まあ、今回はいろいろ無理だったかもしれないけど、今できることをやって、とりあえず心静かに日々を過ごすしかないな、と。

不調な9月には、どうせうだうだ過ごすなら気分転換になんかしよう、と思い立ち、アジア最大のスラムとも言われるDharaviのツアーに参加 (「アジア最大」といいつつ、すでにムンバイ内に4つもDharaviより大きいスラムがあるそうですが)してみました。

スラムで人々の生活を見るのは覗き見趣味ではないのか? その意義は何か? みたいなことをツアー会社各社がウェブサイトで熱く語っていたので、興味を持ったのですが、まあ、ツアーはツアーだな、というかんじ。ガイドにも特に知識があるわけでもなさそうで(あるけど観光客相手には適当なのかもしれないけど)、 流れ作業で駆け足で回るかんじ。少人数グループでのツアーが売りだったけど、結局その少人数グループが同じ時間帯に何グループもいるので、外国人がぞろぞろ歩いていることになってしまい。ツアー客はカメラの持ち込み禁止だけど、スラムの男の子たちは外国人女子の写真を携帯でパシャパシャ撮ってくる。でも一緒のグループになったイギリス人の女の子は、1ヶ月くらい北インドを回ったあと、帰り際にこのツアーに参加して、初めてまともに働いているインド人を見たと言って感銘を受けていました。なので、そういう意味では、「活発な小規模産業の拠点としてのポジティブなスラムを見せたい」というツアー会社の狙い通りだったようです。

ムンバイのアジア・ソサエティというところは、毎月のようにビッグ・ネームの講演会をホストしています。9月はAshis Nandy (これは風邪で行けず)、10月はPeter van der Veerというように。TedTalkに参加して以来、お知らせが来るのでちょっと得した気分。本当は現地の所属大学経由でそういうセミナーとか参加できるかと思っていたのですが、そっちからは留学生パーティーに呼ばれて、手を使わないアイスの早食い競争をしたのみ。

あと、11月の初めにはThink Festという何やら作家とか活動家とか役者とかのインテリ・セレブ集団が、3日間ゴアの高級ホテルで話す、という行事にも参加します。この前ノーベル平和賞を取ったLeymah Gboweeもスピーカーの一人だとか。すべて参加費は無料。

とりあえず、ゴア行きまであと3週間、もう少しがんばってみます。

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写真:ドゥルガーのお祭りNavaratri期間の近所の道のデコレーション。Lonavlaの蝋人形館のネルー首相。サウス・ムンバイのかわいいモスク。
posted by tamako at 16:38| Comment(2) | TrackBack(0) | ムンバイ生活 III - 2011 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月03日

TEDx@NarimanPointに行った

今日、16時半から21時半くらいまで(5時間!)、都心で行われた教育関係の講演会(TEDxNariman Point)に参加してきました。最近知り合った、Teach for Indiaに参加して、2年間の期間限定で先生をしている人に教えてもらったイベントです。

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Teach for Indiaは、Teach for America (「アメリカ国内の一流大学の学部卒業生を、教員免許の有無に関わらず大学卒業から2年間、国内各地の教育困難地域にある学校に常勤講師として赴任させるプログラム」wikipedia)をモデルにしている、なかなかすごい活動です。当然、現場でのコンフリクトはいろいろあるみたいですが…。

知り合いのTeach for Indiaの先生が働いているムンバイの公立小学校では、彼らが関わる前は1年以上先生が誰も来ていない状態だったそうです。Teach for Indiaが入って以来は、英語ミディアム部門の先生は全員Teach for Indiaの先生。スラムの子供たちが学ぶ学校で、先生は全員美男美女のいかにもお金持ちって感じのキラキラ輝いた人たち、という状況になっています。

で、今回のイベントは、Teach for IndiaとTED(Technology, Entertainment, Design.アイデアの力が世界を変えるというアメリカ発のconference)による共催でした。スピーカーは教師や教育関係の活動家で、ほとんどがアメリカ人か、アメリカ英語を話すインド系(名前、外見が)という構成。

広い会場はほぼ満席で、若くてヒップでクールな人々が聴衆として集まっていました。日本で教育関係のイベントで(行ったことないからわからないけど)、こういう客層になるのかな? 昔、ボンベイのクラブに初めて行って戸惑った時の気分を思い出したくらい、リッチで華やかな雰囲気でした。

スピーカーの何人かが、TEDトークでは「原稿を読まない」「だらだらしゃべらない」という規定があったので、緊張しています。みたいな前置きをしていたけど、とにかく、内容というよりも、いかにプレゼントするか、というところに全エナジーが込められていた、という印象。それだけ話がうまい人が多く、講演というよりスタンド・アップ・コメディーを見ているようなかんじで、今日は別件で朝7時から家を出ていたので絶対寝るだろうと思っていたような私ですら、最後まで楽しんで聞くことができました。

途中で見せられたヴィデオが、これです(イギリス人のKen Robinsonのtalkを基にしたもの):


現代の学校教育は、産業革命と啓蒙思想が手と手を取り合って、18世紀から19世紀にかけて整備されたもので、学校はまるで同じ品質の製品を作り出す工場のようにデザインされていて、今の時代に合ったものではありませんよ。アメリカではこのシステムに適合できない子どもがADHDと診断されて(東海岸に近づくほどその数は増える)、麻酔を打たれて授業に集中するようにされているけど、それってどうなの?という話を、超スピーディーに解説してくれています。

このヴィデオの内容自体は、「すべての子供たちに教育を」とか「スラムの子供たちに英語を教えよう」とか「インドの教育が良くなることを想像しよう、夢みよう、そして信じよう」っていう他の多くのスピーカーの趣旨とはかなりずれるかな、という感じでしたが(インドでは、このヴィデオで問題視されている工場としての近代的教育システムがそもそも全く機能していない状態なので)、プレゼンテーションの仕方という意味では、イベントの雰囲気をよく表わしていると思います。

テンポよく、聞き手を飽きさせず、分かりやすく。どうせなにか人前でしゃべるなら、そういうスキルは身につけた方がいいのかもしれないけど。そのスキルをとことん突き詰めた世界を前にして、なんか圧倒されました。

posted by tamako at 06:14| Comment(6) | TrackBack(0) | ムンバイ生活 III - 2011 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

Ganapati Bappa Morya

今日はガナパティ祭の開始日、ガナパティが町に帰ってくる日です。深夜2時くらいから爆竹が鳴り響き、うぁー来たな―というかんじ。朝からガナパティの歌とかお経がずっと聞こえてきます。アパートの集まりや町内会などで、それぞれ仮設会場を作ってガナパティを祀るのですが、私の部屋がある建物の東、西、南側がガナパティ会場に包囲されているので、今後1週間と少しの間日夜この歌を聴き続けることになりそうです。




この町でガナパティを迎えるのもついに5回目…。暑くてカラカラの夏の後に、みんなが待ちわびた雨季が来て、雨季の終わり、祭の季節の始まりにガナパティがやってくる、というサイクル。祭りの規模が大きすぎて毎年何が何だかわからないうちに終わってしまうのですが、そういえばブログにガナパティの写真とか載せたことなかったなーと思って、今日ちょっと、ごく近所で写真を撮ってきました。

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ちょっとさかのぼって家のアパート群のガナパティ搬入。これは8月21日でした。なのですでに1週間以上前に物理的には来ていたのですが、布が被されていて、今日御開帳となったのです。

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これが本日。裏からみたらまだ作業中?って感じですが、

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正面はなかなか立派に出来上がっています。

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中はこんな感じ。

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そしてガナパティ。このガナパティ、我が家も500ルピー出資しました!

というのも、町内会の若者組みたいな集団が数週間前から各世帯にお金を集めに来るのですが、初回の訪問時には「寄付は250ルピーから」と言ってきていました。その時は持ち合わせがなかったので今度払うと言って帰ってもらい、近所の家族に聞くと、われわれのような賃貸の場合、渡すのは100ルピーくらいだとか。せっかくだし、組織の活動内容を教えてもらったり、お金の集まり具合を記した帳簿を見せてもらったりしたいな、と思ったので、次の若者集団訪問時にいろいろ話を聞いて、お礼の意味も込めて奮発して300ルピー渡したら、「最低500は払ってもらいたい」と言われる。

その時、以前読んだインドのジャーナリストが書いたボンベイ・マフィアのルポで、筆者がその辺の人に話を聞くときもちょこちょこお金を渡していたのを思い出して、こういうときは情報と引き換えにお金を払うのがプロの仕事なのかも、とか思って、こっちも取引に出てやろうという気持ちで500ルピー渡したのでした。今まで調査でお金を払ったことはないのだけど。そしたらなんか、その下心?というか自分の思惑のせいで逆に萎えて、その後コンタクトを取りづらくなってしまい、今に至ります。何やってるのか。でもまあ、初めてお金を出したことだし、家のガナパティが可愛く見えるかも。

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向かいのちょっと高級なプライベート・マンションのガナパティ。上のに比べて小規模ですが、ひとつのマンションで用意したってところがリッチ。

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うちのアパートの踊り場から臨む。私達の部屋の窓からも見えます。

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これは道を挟んで南側。これは住民のか、店のか、知りません。

パレードをして近所の溜め池(ボンベイ側は海ですが、この辺は池)に、この町中のガナパティ達を沈めるのが11日。それまでガナパティの恵みをたっぷり受けて、商売繁盛、学業成就を期待したいところです。

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2011年08月28日

アンナ、清掃、来客

前回のブログ以来、結構忙しくしていました。ここ最近の出来事:

・「市民」オンブズマンによる物凄い権限を持った汚職監視機関を設立する法案(Jan Lokpal Bill)を通すため、12日間断食をしていた74歳の社会活動家のAnna Hazareが、今朝、一定の要求が通ったとして、ついに断食を止めました。はぁ、とりあえず死なないでよかった。まあ死ぬことはなかったのかもしれないけど。支持者の中には自殺者も出たみたいですが、とりあえずは血を流さない「ピースフル」な「革命」ってことになっています。

私も今週は近所の座り込み会場に毎日顔を出して、ちょっと様子を伺っていました。会場で寝泊まりしている無職のサポーターとか、カネ回りのいい地元NGOとか、アンナが体の中に入った踊るおじいさんとか、集団でスローガンをチャンティングして町を練り歩く学生達とか、ヒンドゥー・ナショナリストのおじさんとかと話す。最近祭の季節なので、祭とデモが一体化して一部では独特の盛り上がりを見せていました。

新聞もテレビもニュースは基本的にアンナ全面支持モードだけど、論説欄には批判的な意見も結構載っています。

街中に"I am Anna Hazare"と書かれたガンディー帽を被る人が溢れる中での、作家Arundhati Royの記事"I'd rather not be Anna"(8/21, The Hindu掲載)。今、この法案について何を聞いてもVande Mataram (I bow to thee, Mother-母なるインド)系しか返ってこないってのは実感するところ。ウェブ記事にはこれまでにコメントが1114ついていて、Royに批判的なものが目立つ。

民主的でない法案を要求する市民的でない市民運動を批判するGautam Patel"のRupees, Annas And Vice"(8/19、Mumbai Mirror掲載)。新聞には文章のみしか載っていなかったけど、彼のサイト(上のリンク)に載せてある写真とコメントにも彼の気持ちがよく表れている("A not-so-civil society,""Civil society. A debate, anyone?")。いかにも大衆をバカにした近代主義的エリートってかんじに読めるかもしれないけど、弁護士としては正しい解説・意見だと思うし、実際この記事が新聞に掲載されたとき私は安心しました。

・さかのぼって、7月中旬から1ヶ月間くらいは、地元タブロイド紙のムンバイ清掃/啓蒙キャンペーンに参加。ついでにその新聞に頼まれて記事を書き、大きな写真と共に掲載された。日本人の視点という期待(多分)に添いつつ、感謝と批判の気持ちを込めた、オフェンシブでない、分かりやすい文章を書こうと試みたものの、まあほとんど伝わらなかったと思われる。

600wordsの英文でそんな重層的なメッセージを、新聞社の担当者+新聞の一般読者に発信するような高度な技はもちろん持ち合わせていないのですが。しかも、夜の11時半ごろ頼まれて、締め切りは翌日夕方。

担当の人に怒られないかとびくびくして、マイルドにマイルドに手を加えていったところ、我ながら何を言いたいのか分からない文章になってしまった。そして原稿を受け取った担当の人達からは、"very well written" "quite an eye-opener"となぜか褒められ、やはり批判の部分はもはや解読不可能になっていた模様。

これをどこか他のところで批判的に書くなら、まったく二枚舌ではいけないと思って、こっちでもがんばってみたのですが…。

・先週、突如としてこんぶとあやちゃんが来印。結構タイトなインド旅行の中、ムンバイまで飛んできてくれて、家に二泊。近所とタウンをご案内する。とにかくすごい元気でパワフル、見る物すべてに大笑いして手を叩いて喜んでくれたので、その点ホストしがいのあるゲストでした。

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そんなかんじで、なぞのアンナ・フィーバーも一段落(?)して、祭本番の季節がやってきつつあります。なんか、いろいろなことが起こりすぎていて、常に混乱、焦燥、疲労気味。早く祭が終わってほしい。



タグ:研究生活
posted by tamako at 17:58| Comment(2) | TrackBack(0) | ムンバイ生活 III - 2011 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする