2011年12月27日

年の瀬

メリー・クリスマス・ポストを書こうと思っていたら、もうクリスマス終わってしまいました。クリスマスクリスマス
まあ、今さっきも近所のモールからクリスマス・セールの携帯広告が入ったりして(クリスマス後のセールではなく、まだクリスマス・プロパーなかんじの)、周りはまだクリスマス仕様ですけどねぇ。

さて、今年も残すところわずか。相変わらずバタバタと落ち着きのない一年でした。今年は特に、浮き沈みが激しかったかな―、主に低めのほうで。起き上がれないくらいのディープ沈みと、「あーやっぱりダメ」とため息をつき続けるくらいのライト沈みを行き来しつつ、たまに張り切る、みたいな。深刻ではないのだけど、自分でもちょっと厄介だと感じるくらいのレベル。風邪とか体調不良もやたら多かったし。来年は、精神的に落ち着いて、風邪をひかず、毎日同じことができるようにしたいです。今年の不調はインドのせいだったと思いたい。

いろいろブログに書きたいこともあったのだけど、なんとなく書けず。書きたかったことは、カズオ・イシグロにはまったこととか、インドで流行っている文芸系のフェスティバルのこととか、ってそれくらいかな。

今年は調査の年ということもあり、一年前は、一年後には全く別の私にメタモルフォーゼしていると本気で信じていたのですが、まあ変わりなかったです。自分の限界に対する諦念の感みたいのは芽生えたか。ぐんぐん未知の領域へ伸びていくぞ!みたいな気概が、わりと去年くらいまではあったのが、今は、まあとりあえずこんなくらいしかできないけど、その中でできることをやってみよう、という気分です。

あと、今年はずっと一人で活動しているので、今考えていることを発表して評価を受けないとまずいんじゃないかと不安なのと、業績ポイントを稼ぐため、後半いろいろ出しまくりました。振り返ってみると…

7月:南アジア関係のイギリス系の雑誌に英語論文投稿 → 結果待ち
9月:イギリスである国際シンポに応募 → 2月発表
11月:ムンバイの雑誌に英語の研究ノート投稿 → 結果待ち
12月:J学会応募 → 結果待ち
   インド系研究会応募 → 3月発表

1月:イギリス・シンポのペーパー締切 (発表用とは別に、特集号用の論文も…?)
   +書評も書くべき?

と、こんなかんじ。今のところ出すばっかりで成果は上がっていません。発表の要旨は通っても、どういう反応なのかはまだわからない。雑誌は今のところ受領確認しか来てなくて、査読にどれくらいかかるのか謎だし、ずーっと待ち続けてリジェクトされるってこともあるわけだものねぇ。来年、豊作となるか、玉砕となるか。そして、今出せるだけ出しまくったけど、来年は発表と書きなおしでものすごく忙しくなるんじゃないだろうか…。でもまあ、いつでも書けるわけでもないし、書けるときに書いとかないとね。量産型でいけばそのうちなんとかなる、か?

そんなかんじで、年末年始もまだまだ仕事をしないといけないので(もちろん調査も…)、あまり深く落ち込まないことを目標に現状維持でがんばります。

みなさま、よいお年を!

タグ:研究生活
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2011年11月12日

ボリウッド雑感

以前書いた“My Name Is Khan”の記事にコメントをもらったので、それに関連して思うことのメモを。

つい一年前、ボリウッド映画は現実的なファンタジーだと言って、ハリウッド映画のスーパーヒーロー物との差異を主張していた俳優のシャー・ルク・カーンですが、今年のディワリ祭(10月26日)に公開された3D映画 “Ra.One” ではいけしゃあしゃあと空飛ぶスーパーヒーローを演じています。それも、ターミネーター、スーパーマン、マトリックス、アイアンマンすべてを混ぜたザ・スーパーヒーロー。あと、“My Name Is Khan”との共通点でいうと、アスペルガー症候群とロボットというそれぞれの主人公を、シャー・ルクが同じ演技で表現していたのも印象的でした。

ともあれ、“Ra.One”はスーパーヒーロー物でありながら、やはり物凄くボリウッド的。私は公開初日に観に行ったので、大興奮の客席でお祭り騒ぎに浸りつつ、久々に大画面で拝むシャー・ルクの姿をうっとり堪能しました。そして改めて感じたのは、ボリウッド映画界のPCフリーさ。いろいろな検閲は問題になっていますが、政治的に正しくあるために表現や言葉を規制するという感覚はまったくないらしい。そのために、やれやれ、と思う部分も多いけど、なんかこれだけ影響力のある国を挙げた一代産業の目玉映画でまったくPC無視っていうのはすごいのかもしれないと思えてきた。

“Ra.One”の主人公、人間版(?)はイギリス在住の南インド人のゲーム・メーカーなのですが、この描写がまずひどい。くるくるカールの変な髪形で、ルンギ(腰巻)を巻いて、ヌードルにヨーグルトを混ぜて手で食べる。その形態を差し置いて南インド人を一番ムカつかせたのは、フェイク・アクセントだそうです。あとは、なぜかアカシさんと言う名前の中国人親子(中国語をしゃべっていたけど、制作側が何人として意図していたのかは謎)が出てきて、周りの人にジャッキー・チェーンと言われるたびに猛烈に怒るというよくわからない(教育的?)ネタも。

で、新聞のレビューはいつも通り大まじめに、「あんな南インド人はいない」とか、「ドタバタ劇があまりにバカげていて見苦しい」とか「筋書きに欠陥がある」とか「ハリウッドのコピー」とか批判する。私の周りのミドルクラスの友人達の反応も同じようなものでした。ボリウッド側は明らかに意図的に、ハリウッド映画をベースに、べたべたのステレオタイプを使って、むちゃくちゃな筋書きのドタバタ劇を作り続けているのに、それに対して新聞や雑誌が毎回素直に文句言ってるのもなんか不思議。書き手はずっとボリウッドのレビューをしてきているんだから、その文脈でもう一歩踏み込んで違うことが言えるんじゃないかと思うのだけど、そうやって「エリート」達にバカにされつづけるところまでがボリウッド映画界の役割なのかも。

“My Name Is Khan”でも、このハイパー・ステレオタイプが大事だった気がします。カジョールのいつもながらの元気でキュートだけど感情に流されて我を忘れてしまう「女の子」役、ジョージアの太った黒人女性、「ママ・ジェニー」とゴスペルを歌う貧しいけど素朴で人のいい黒人たち、洪水に襲われたその黒人たちの村を集団で助けに来る「善きムスリム」達。「善きムスリム」軍団がじゃぶじゃぶ水につかりながら救援物資を運んでくる場面では、「ここまでやるか…。ここまで描かないとダメなのか…」と絶句してある意味胸を打たれました。なんだかんだ言って、私はこの映画、涙なしでは見られません。この破廉恥なほどストレートなボリウッドのストーリー・テリングの力に赤面しつつも圧倒されてしまうのです。

ちなみに “My Name Is Khan”の邦題は『マイネーム・イズ・ハーン』になっているみたいですね。シャー・ルク・カーンにアーミル、サルマンを加えたボリウッド界の三大カーンも普通「カーン」表記だし、「ハーン」には聞こえないので違和感はあるのですが、片仮名ではウルドゥー語の喉音のkhanが表記できないので、hの部分を強調するためには仕方なかったのかな。この喉音は、ボンベイ辺りではヒンディー語話者のインド人も結構無視しているので、「カーン」と聞こえるし「カーン」と言えば通じます。映画の中でも、ヒンドゥーでヒンディー話者のカジョールが「カーン」と発音しているのに対して、シャー・ルクが何度も「違う、khanだ。喉音のkhan」と言い直していたので、重要なポイントなのかも。ウルドゥー語とヒンディー語は文字が違って、ウルドゥー=ムスリムの言語、ヒンディー=ヒンドゥーの言語ということになっているけど、会話レベルでは同じと言っていいようなかんじなのですが、この喉音を含めた発音はウルドゥー語の方がかなり複雑らしい。ボリウッドはヒンディー映画本流ということになっていますが、ボリウッド俳優を目指す人は、美しいウルドゥー語発音ができるように、ウルドゥー語教室に通うそうです。

(マラーティー語教室では、日本語の感覚で「カ」というと"kha"になってしまうので、普通のソフトな"ka"が言えずに苦労しました。カラスの「カ」は"kha"だけど、スイカの「カ」は"ka"らしい。)
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2011年10月11日

不調な日々とランダムな活動

9月の初めに久々に高熱を出して1週間くらい寝込んだのですが、その後、体は治ってもなんか調子が悪く、しばらくぐずぐずと落ち込んでしまいました。が、それではイカン、と自らを鼓舞し、新しい調査を始めようとしたのですが、それがことごとくうまく行かず。アプローチした組織からは調査許可が下りず、個人的なメールやメッセージは無視され、電話はつながらず、会いに行けば叱られる。手紙は返される。助手を雇えば大喧嘩して2日で決裂(2年前と同じ彼ですが)。そうやって焦りつつもやるせない日々を過ごしていたのですが、ごく最近、もう調査期間もほぼ終わり(まだ3ヶ月以上ありますが)となってみると少し落ち着いてきました。まあ、今回はいろいろ無理だったかもしれないけど、今できることをやって、とりあえず心静かに日々を過ごすしかないな、と。

不調な9月には、どうせうだうだ過ごすなら気分転換になんかしよう、と思い立ち、アジア最大のスラムとも言われるDharaviのツアーに参加 (「アジア最大」といいつつ、すでにムンバイ内に4つもDharaviより大きいスラムがあるそうですが)してみました。

スラムで人々の生活を見るのは覗き見趣味ではないのか? その意義は何か? みたいなことをツアー会社各社がウェブサイトで熱く語っていたので、興味を持ったのですが、まあ、ツアーはツアーだな、というかんじ。ガイドにも特に知識があるわけでもなさそうで(あるけど観光客相手には適当なのかもしれないけど)、 流れ作業で駆け足で回るかんじ。少人数グループでのツアーが売りだったけど、結局その少人数グループが同じ時間帯に何グループもいるので、外国人がぞろぞろ歩いていることになってしまい。ツアー客はカメラの持ち込み禁止だけど、スラムの男の子たちは外国人女子の写真を携帯でパシャパシャ撮ってくる。でも一緒のグループになったイギリス人の女の子は、1ヶ月くらい北インドを回ったあと、帰り際にこのツアーに参加して、初めてまともに働いているインド人を見たと言って感銘を受けていました。なので、そういう意味では、「活発な小規模産業の拠点としてのポジティブなスラムを見せたい」というツアー会社の狙い通りだったようです。

ムンバイのアジア・ソサエティというところは、毎月のようにビッグ・ネームの講演会をホストしています。9月はAshis Nandy (これは風邪で行けず)、10月はPeter van der Veerというように。TedTalkに参加して以来、お知らせが来るのでちょっと得した気分。本当は現地の所属大学経由でそういうセミナーとか参加できるかと思っていたのですが、そっちからは留学生パーティーに呼ばれて、手を使わないアイスの早食い競争をしたのみ。

あと、11月の初めにはThink Festという何やら作家とか活動家とか役者とかのインテリ・セレブ集団が、3日間ゴアの高級ホテルで話す、という行事にも参加します。この前ノーベル平和賞を取ったLeymah Gboweeもスピーカーの一人だとか。すべて参加費は無料。

とりあえず、ゴア行きまであと3週間、もう少しがんばってみます。

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写真:ドゥルガーのお祭りNavaratri期間の近所の道のデコレーション。Lonavlaの蝋人形館のネルー首相。サウス・ムンバイのかわいいモスク。
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2011年09月03日

TEDx@NarimanPointに行った

今日、16時半から21時半くらいまで(5時間!)、都心で行われた教育関係の講演会(TEDxNariman Point)に参加してきました。最近知り合った、Teach for Indiaに参加して、2年間の期間限定で先生をしている人に教えてもらったイベントです。

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Teach for Indiaは、Teach for America (「アメリカ国内の一流大学の学部卒業生を、教員免許の有無に関わらず大学卒業から2年間、国内各地の教育困難地域にある学校に常勤講師として赴任させるプログラム」wikipedia)をモデルにしている、なかなかすごい活動です。当然、現場でのコンフリクトはいろいろあるみたいですが…。

知り合いのTeach for Indiaの先生が働いているムンバイの公立小学校では、彼らが関わる前は1年以上先生が誰も来ていない状態だったそうです。Teach for Indiaが入って以来は、英語ミディアム部門の先生は全員Teach for Indiaの先生。スラムの子供たちが学ぶ学校で、先生は全員美男美女のいかにもお金持ちって感じのキラキラ輝いた人たち、という状況になっています。

で、今回のイベントは、Teach for IndiaとTED(Technology, Entertainment, Design.アイデアの力が世界を変えるというアメリカ発のconference)による共催でした。スピーカーは教師や教育関係の活動家で、ほとんどがアメリカ人か、アメリカ英語を話すインド系(名前、外見が)という構成。

広い会場はほぼ満席で、若くてヒップでクールな人々が聴衆として集まっていました。日本で教育関係のイベントで(行ったことないからわからないけど)、こういう客層になるのかな? 昔、ボンベイのクラブに初めて行って戸惑った時の気分を思い出したくらい、リッチで華やかな雰囲気でした。

スピーカーの何人かが、TEDトークでは「原稿を読まない」「だらだらしゃべらない」という規定があったので、緊張しています。みたいな前置きをしていたけど、とにかく、内容というよりも、いかにプレゼントするか、というところに全エナジーが込められていた、という印象。それだけ話がうまい人が多く、講演というよりスタンド・アップ・コメディーを見ているようなかんじで、今日は別件で朝7時から家を出ていたので絶対寝るだろうと思っていたような私ですら、最後まで楽しんで聞くことができました。

途中で見せられたヴィデオが、これです(イギリス人のKen Robinsonのtalkを基にしたもの):


現代の学校教育は、産業革命と啓蒙思想が手と手を取り合って、18世紀から19世紀にかけて整備されたもので、学校はまるで同じ品質の製品を作り出す工場のようにデザインされていて、今の時代に合ったものではありませんよ。アメリカではこのシステムに適合できない子どもがADHDと診断されて(東海岸に近づくほどその数は増える)、麻酔を打たれて授業に集中するようにされているけど、それってどうなの?という話を、超スピーディーに解説してくれています。

このヴィデオの内容自体は、「すべての子供たちに教育を」とか「スラムの子供たちに英語を教えよう」とか「インドの教育が良くなることを想像しよう、夢みよう、そして信じよう」っていう他の多くのスピーカーの趣旨とはかなりずれるかな、という感じでしたが(インドでは、このヴィデオで問題視されている工場としての近代的教育システムがそもそも全く機能していない状態なので)、プレゼンテーションの仕方という意味では、イベントの雰囲気をよく表わしていると思います。

テンポよく、聞き手を飽きさせず、分かりやすく。どうせなにか人前でしゃべるなら、そういうスキルは身につけた方がいいのかもしれないけど。そのスキルをとことん突き詰めた世界を前にして、なんか圧倒されました。

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2011年09月01日

Ganapati Bappa Morya

今日はガナパティ祭の開始日、ガナパティが町に帰ってくる日です。深夜2時くらいから爆竹が鳴り響き、うぁー来たな―というかんじ。朝からガナパティの歌とかお経がずっと聞こえてきます。アパートの集まりや町内会などで、それぞれ仮設会場を作ってガナパティを祀るのですが、私の部屋がある建物の東、西、南側がガナパティ会場に包囲されているので、今後1週間と少しの間日夜この歌を聴き続けることになりそうです。




この町でガナパティを迎えるのもついに5回目…。暑くてカラカラの夏の後に、みんなが待ちわびた雨季が来て、雨季の終わり、祭の季節の始まりにガナパティがやってくる、というサイクル。祭りの規模が大きすぎて毎年何が何だかわからないうちに終わってしまうのですが、そういえばブログにガナパティの写真とか載せたことなかったなーと思って、今日ちょっと、ごく近所で写真を撮ってきました。

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ちょっとさかのぼって家のアパート群のガナパティ搬入。これは8月21日でした。なのですでに1週間以上前に物理的には来ていたのですが、布が被されていて、今日御開帳となったのです。

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これが本日。裏からみたらまだ作業中?って感じですが、

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正面はなかなか立派に出来上がっています。

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中はこんな感じ。

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そしてガナパティ。このガナパティ、我が家も500ルピー出資しました!

というのも、町内会の若者組みたいな集団が数週間前から各世帯にお金を集めに来るのですが、初回の訪問時には「寄付は250ルピーから」と言ってきていました。その時は持ち合わせがなかったので今度払うと言って帰ってもらい、近所の家族に聞くと、われわれのような賃貸の場合、渡すのは100ルピーくらいだとか。せっかくだし、組織の活動内容を教えてもらったり、お金の集まり具合を記した帳簿を見せてもらったりしたいな、と思ったので、次の若者集団訪問時にいろいろ話を聞いて、お礼の意味も込めて奮発して300ルピー渡したら、「最低500は払ってもらいたい」と言われる。

その時、以前読んだインドのジャーナリストが書いたボンベイ・マフィアのルポで、筆者がその辺の人に話を聞くときもちょこちょこお金を渡していたのを思い出して、こういうときは情報と引き換えにお金を払うのがプロの仕事なのかも、とか思って、こっちも取引に出てやろうという気持ちで500ルピー渡したのでした。今まで調査でお金を払ったことはないのだけど。そしたらなんか、その下心?というか自分の思惑のせいで逆に萎えて、その後コンタクトを取りづらくなってしまい、今に至ります。何やってるのか。でもまあ、初めてお金を出したことだし、家のガナパティが可愛く見えるかも。

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向かいのちょっと高級なプライベート・マンションのガナパティ。上のに比べて小規模ですが、ひとつのマンションで用意したってところがリッチ。

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うちのアパートの踊り場から臨む。私達の部屋の窓からも見えます。

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これは道を挟んで南側。これは住民のか、店のか、知りません。

パレードをして近所の溜め池(ボンベイ側は海ですが、この辺は池)に、この町中のガナパティ達を沈めるのが11日。それまでガナパティの恵みをたっぷり受けて、商売繁盛、学業成就を期待したいところです。

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2011年08月28日

アンナ、清掃、来客

前回のブログ以来、結構忙しくしていました。ここ最近の出来事:

・「市民」オンブズマンによる物凄い権限を持った汚職監視機関を設立する法案(Jan Lokpal Bill)を通すため、12日間断食をしていた74歳の社会活動家のAnna Hazareが、今朝、一定の要求が通ったとして、ついに断食を止めました。はぁ、とりあえず死なないでよかった。まあ死ぬことはなかったのかもしれないけど。支持者の中には自殺者も出たみたいですが、とりあえずは血を流さない「ピースフル」な「革命」ってことになっています。

私も今週は近所の座り込み会場に毎日顔を出して、ちょっと様子を伺っていました。会場で寝泊まりしている無職のサポーターとか、カネ回りのいい地元NGOとか、アンナが体の中に入った踊るおじいさんとか、集団でスローガンをチャンティングして町を練り歩く学生達とか、ヒンドゥー・ナショナリストのおじさんとかと話す。最近祭の季節なので、祭とデモが一体化して一部では独特の盛り上がりを見せていました。

新聞もテレビもニュースは基本的にアンナ全面支持モードだけど、論説欄には批判的な意見も結構載っています。

街中に"I am Anna Hazare"と書かれたガンディー帽を被る人が溢れる中での、作家Arundhati Royの記事"I'd rather not be Anna"(8/21, The Hindu掲載)。今、この法案について何を聞いてもVande Mataram (I bow to thee, Mother-母なるインド)系しか返ってこないってのは実感するところ。ウェブ記事にはこれまでにコメントが1114ついていて、Royに批判的なものが目立つ。

民主的でない法案を要求する市民的でない市民運動を批判するGautam Patel"のRupees, Annas And Vice"(8/19、Mumbai Mirror掲載)。新聞には文章のみしか載っていなかったけど、彼のサイト(上のリンク)に載せてある写真とコメントにも彼の気持ちがよく表れている("A not-so-civil society,""Civil society. A debate, anyone?")。いかにも大衆をバカにした近代主義的エリートってかんじに読めるかもしれないけど、弁護士としては正しい解説・意見だと思うし、実際この記事が新聞に掲載されたとき私は安心しました。

・さかのぼって、7月中旬から1ヶ月間くらいは、地元タブロイド紙のムンバイ清掃/啓蒙キャンペーンに参加。ついでにその新聞に頼まれて記事を書き、大きな写真と共に掲載された。日本人の視点という期待(多分)に添いつつ、感謝と批判の気持ちを込めた、オフェンシブでない、分かりやすい文章を書こうと試みたものの、まあほとんど伝わらなかったと思われる。

600wordsの英文でそんな重層的なメッセージを、新聞社の担当者+新聞の一般読者に発信するような高度な技はもちろん持ち合わせていないのですが。しかも、夜の11時半ごろ頼まれて、締め切りは翌日夕方。

担当の人に怒られないかとびくびくして、マイルドにマイルドに手を加えていったところ、我ながら何を言いたいのか分からない文章になってしまった。そして原稿を受け取った担当の人達からは、"very well written" "quite an eye-opener"となぜか褒められ、やはり批判の部分はもはや解読不可能になっていた模様。

これをどこか他のところで批判的に書くなら、まったく二枚舌ではいけないと思って、こっちでもがんばってみたのですが…。

・先週、突如としてこんぶとあやちゃんが来印。結構タイトなインド旅行の中、ムンバイまで飛んできてくれて、家に二泊。近所とタウンをご案内する。とにかくすごい元気でパワフル、見る物すべてに大笑いして手を叩いて喜んでくれたので、その点ホストしがいのあるゲストでした。

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そんなかんじで、なぞのアンナ・フィーバーも一段落(?)して、祭本番の季節がやってきつつあります。なんか、いろいろなことが起こりすぎていて、常に混乱、焦燥、疲労気味。早く祭が終わってほしい。



タグ:研究生活
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2011年07月16日

爆弾テロとムンバイ精神

今週水曜、またムンバイ市内3ヶ所で爆弾テロ(最初は死者21名になってたけど、今は18名とか?) が起こりました。アメリカの新聞などでもトップ・ニュースとして扱われたそうで、夫の家族も心配していたので、日本の家族にもメールしてみたら、知らなかったとのこと。父は、「日本は節電による熱中症で大変」というアップデートをしてくれました。それはともかく、そんなに騒がれてないならこちらから無事ですと報告してまわらなくてもいいかと、それ以外の連絡はしていませんでしたが、私の住んでいる地域は大丈夫です、念のため。

しかし、また爆弾テロ。14日の新聞では、一面の大きな見出しがYET AGAINでした。ムンバイでは最近2、3年ごとにこういうテロが起こっていて(この記事の下に年表)、さすがに2008年のはタージ炎上とか嘘みたいな派手さがあったし自分がその場にいなかったこともあってすごいショックだったけど、今回は現地にいるからかどこか慣れた感があって、それも不思議。もちろん新聞記事を読むと悲しいし怖いけど、町の生活はごく普通です。

今日は、現地ならではのレポートとかじゃないのですが、ちょっとニュースなどを整理して、とりとめないながらもメモしておこうと思います。

New Yorkerのブログ記事によると、事件当日、爆破現場のすぐ近くでも普段通りの様子だったとのこと。現場付近で文句を言っている集団がいると思ったら、事件のせいで映画Delhi Bellyのレイト・ショーが中止になったことに対して怒っていたらしい。そのなかの一人曰く「こんなことしょっちゅう起こってる。爆発がいくつかあったからって、なんで自分達の生活をがまんしなきゃならないんだ?」

上の記事で疑問視されているのが「ムンバイ精神(spirit of Mumbai)」。こういうテロが起こるたびに、次の日には人びとが普通の生活に戻って活動するのを、たくましい回復力だとして、政治家やメディア、学者がたたえているのです。今回はさすがにネットなんかで「もうムンバイ精神で片付けるのはやめてくれ」という声もあがっています。たくましさなのかアパシーなのか。

家にあったけど読んでいなかったHindustan Timesが出した“26/11: The Attack on Mumbai” もパラパラと読んでみた。ここには、9.11後のアメリカの対応と比較して興味深い点として、明らかにパキスタンのテロリストによる2008年のテロ後、国際社会は印パの戦争を心配したのに、そういう展開にはならなかったし、インド国内のムスリムに対する攻撃も起こらず、批判は国内の政治家に向けられたと書いてありました。こう書かれると「テロの報復で戦争開始」っていうのは一見よくあるような気がするけど、でも考えてみると、もともと戦争することになってなかったら、テロ攻撃を受けたからといって戦争、ってことにはならないものなのかもなぁ。国際政治とかよくわかっていませんが。ましてや、テロリストがムスリムだったからといって、隣のパン屋のムスリムのおじさんを焼き殺そうとは普通思わない。それが起こったのが1992−3年に組織されたボンベイ暴動なのですが。

アパシーでもなんでも、これだけムスリム過激派によるだろうという爆破テロが続いていて、1993年以降は大規模な報復が起こっていないことは素直に良いことだと思う。今回のテロも、印パの関係修復協議を阻害する目的とか言われていますが、ちゃんと予定通り協議を進めてほしいです。今回、事件直後に (パキスタンではなく)インド国内のムジャヒディンの犯行かと発表されたのも、事件によるムスリム被害者の話とか写真が多く取り上げられているのも、その辺の考慮があるとかないとか。

とはいえ、ムンバイのテロ対策がダメダメってところは本当になんとかするべきだと思う。アパートでも公共施設でも警備員のいないところはいないし、モール、駅、役所などいたるところで空港にあるみたいな機械でピーピーされるし、鞄の中や車のエンジンまでいちいち「調べて」いるけど、ああいうのは全部無駄だと思います。

**********
ムンバイの爆破テロのタイムライン
(Times of Indiaムンバイ版2011年7月14日より)

1993年3月12日: 市内11ヶ所の爆破、死者257名
1998年1月23、24、27日: 市内の線路/駅6ヶ所の爆破、死者4名
2002年12月2日: BESTバスの爆破(Ghatkopar)、死者2名
2003年3月13日: 電車の爆破 (Mulund)、死者11名
2003年8月25日: タクシーの爆破(インド門とZaveri Bazaar)、死者52名
2006年7月11日: 7分間、7ヶ所で7つの爆破、死者188名
        *「ムンバイ列車爆破事件
2008年11月26〜29日: LeT(ラシュカレトイバ)襲撃
        CST駅、タージ・ホテル、オベロイ・ホテル他、死者166名
        *「ムンバイ同時多発テロ

*項目がばらけていたり、ネットでみるとこれ以外にも爆破事件は載ってるし、爆弾の数とか死者数とかも違ったりするけど、概要ということで基本的に新聞のまま載せました。最近のテロは日本語のウィキにも載っていたので事件名とリンクをつけています。

タグ:テロ
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2011年07月08日

Change or Accept

なんどか書こうとして、全然まとまらなかった、最近の気になった言葉について。かなりぐだぐだになってしまって意味不明かもしれませんが、結構時間をかけたのでアップ。すみません…。

*****
先日、とある人に、とある絶妙のポイントで、人生の選択肢は二つしかない、と諭された。変える (change)、もしくは受け入れる (accept)。変えられることは変える。でも、どうしても変えられないことはあるから、その時は受け入れるしかない、と。

基本的には、どんなに嫌な状況にあっても、とりあえずそれを変える努力をして、変えられなければ諦めるしかないんだから、単純明快、悩まなくてもすっきり爽やかなもんじゃないか、というメッセージなんだと思う。例えば、夫がどうしても嫌いでやっていけないなら、別れろ、それができないなら受け入れろ。あるいは低カーストに生まれたとして、それでも自分の力で状況を変えられるくらい努力しろ、できないなら諦めて立場を受け入れてそれなりの幸せを感じて生きていけ、みたいな。

これは、わたしにacceptのほうを勧める文脈で言われた言葉なんだけど、なんか確かに圧倒的に正しいようで、妙に引っかかるところもあり、ずいぶん考えさせられた。

その時感じたのは、そう簡単に変えられるか変えられないか、分かるものじゃない。その線引きが難しいということ。線引きの失敗例としては、自分の欠点をずっと惰性的に受け入れて、成長せず、どんどんダメになっていく、とか。もしくは目の前にある事実が変えられないことを受け入れられず、いつまでも妄想に固執して日常生活に支障をきたすとか。

でもchange or acceptの二択が明快に感じられるのは、そもそも、その二択を当人がする必要がないという前提においてだと思う。自分の意思で選択する以前に、もう現実があるのだから、という前提。で、変えられる現実と変えられない現実は自分でわかって当然、ということ。例えば、肉親が死んだ、という場合だったら、それは変えられない現実で、そりゃーアクセプトするしかないでしょう。っていう具合に。でも、実際にその場におかれてみると、どちらを選ぶか自分が決めなければならない、決める立場にあるような気分になるのではないかな。選択できるようでいて、できない。できないようでいて、しなければならない気もする。どこまでが自分の意思、責任の及ぶ範囲なのか。っていうのが謎だから、change or acceptではどうにもならない。

で、結局、自分の意思で選択できることなんて、ほとんどないんじゃないか、という気がしています。というと、これは結局、言われた通りacceptに落ち着いたということかしらん。


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2011年07月06日

Delhi Belly

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話題のボリウッド映画、『デリー・ベリー』を観てきました。最初に広告を観た時は、ハング・オーバー・インド版(パクリ)? と思ってましたが、口コミでもメディアのレビューでもかなり評判がよくて、新世代ボリウッドと言われている作品。じつは新世代感はあんまり感じられなかったけど、むしろ久々に観客が一体となって楽しめる王道ボリウッドを観たなーという感想です。

新しい点は、話の展開も早いし時間も短いこと。102分という国際的な長さで、途中インターミッションもなし! インド映画は長いことで有名ですが、こちらで公開されるアメリカ映画なんかも、普段は無理やり途中でぶちっと切られて、10分くらいのトイレ、スナック休憩が入るのです。あとは、「従来のどたばたコメディではなくて会話で楽しませる」みたいなことがレビューに書かれてて、しかもリアルな若者のスラング満載というから、分かるかなぁと心配していたのですが、十分どたばた、かつジョークはトイレ系の下ネタがメインだったので、その辺は相変わらず。客の反応もその点に集中して大受け、口笛を鳴らして大騒ぎという状況だったので、そもそも会話が聞こえなかったりも。

トイレ系のジョークのなかに、結構おもしろく、妙になるほどーと感心させられたシーンがありました。デリー・ベリー(インドで旅行者がお腹を壊すこと)というだけあって、登場人物の一人(デリー在住のインド人ですが)は最初に露店で買い食いしてからずーっと下痢をしていて、それがまあ話のキーとなっているのです。が、そのなかで、アパートでトイレの水が出ないのでお尻が洗えず困った、という状況に。こういうのって日本でも古典的なシチュエーションですよね。なんか大事な書類とかお金で拭いてしまった、みたいな。それが彼は、パンツを下ろしたまま冷蔵庫まで行って、ボトル入りの水を探すもなかったので、やむなく友達が買いだめしていた紙パックのオレンジ・ジュースを使うのです。水がなければオレンジ・ジュース。液体のオルタナティブとして、もっともな選択ですが、改めてはっとさせられました。

あと、これまでもあったのかもしれないけど、この映画は、まず英語がメイン、ヒンディー語少々のヒングリッシュ版で作られていて、さらに同じ俳優が吹き替えをしたヒンディ語がメイン、英語少々のヒンディー版も同時公開されているのです。そんな微妙な。私はたまたまヒンディー版を観たのですが、英語のフレーズとかセリフも普通に混じってるし、どっちかよくわかりませんでした。ヒンディー映画界メインストリームのボリウッドにおける映画の英語化は結構前から言われてたけど、吹き替え版も自分たちで作ってるってなんかおもしろい。

最後にやっぱり見どころは、今回はプロデューサーのアミール・カーンが、「ディスコ・ファイター」に扮してアイテム・ボーイを務めていること。ボリウッド映画には、「アイテム・ソング」といわれる、話の筋とは関係ない歌と踊りのシーンが入って、それを「アイテム・ガールorボーイ」と呼ばれる本編には出演していない俳優が演じるというのがあるのです。超ベテラン俳優、アミールのアイテム・ボーイ姿には、主演俳優である甥っこ、イムラン・カーンへの愛を感じさせられました。アイテム・ソングがエンド・ロールと同時に流れる場合、ほとんどの観客はすでに席を立っていて、掃除の人しか観ていないっていうちょっと悲しい状況が常なのですが、今回は半分以上の客が席に残ってアミールを観ていました! さすがアミール。

そんなデリー・ベリー。映像も良かったし、音楽も青春っぽくてかわいかったし、インド在住の方にはおすすめです。


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2011年06月17日

Mysoreのパレスに泊まる

チェンナイから一晩電車に乗って、マイソールに朝着くと、なんだか、すべてがさわやか。緑がきれいで空気が澄んでいて、涼しい。マイソールも本格的な雨季は10月〜12月らしいですが、今も準・雨季的な時期らしく、雨がぱらぱら。西海岸、特にボンベイみたいに乾季と雨季がエクストリームに分かれておらず、気候がマイルドで過ごしやすそうな土地でした。公共の場所、公園とか道路もきれいで(ゴミだらけでなく、ねずみとかゴキブリが溢れていない)、建物は低く、全体的に上品にまとまっているかんじ。大通りはアメリカ東海岸の郊外の小さな町のよう。その第一印象もまあ、早朝だったからで、昼間はごちゃごちゃしていましたが。

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マイソールといえばマハラジャ、ということで、今回は初めてマハラジャ・パレス(ラリタ・マハル)に泊まってきました。オフ・シーズンだったので、半額キャンペーンをやっていたし、宿泊客は少なくかなりプライベートな気分を味わえて、お得。市街地の外の高台にあるので、浮世を離れてのんびりできました。

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なんとなく、ペンキも塗りたてで色合いもかわいく、格式高いパレスというよりは、ジブリ美術館のような雰囲気。それが荘厳過ぎず、キッチュすぎず、居心地がよかったです。事前にチェックしたネットの評判では、大きい、古い、派手な装飾は楽しめても、設備やサービス、衛生面では問題ありみたいなレビューが多かったけど、私にとっては設備面でもかなり満足でした。お湯はぬるいとはいえバスタブもあったし、有料とはいえwi-fiも使えたし、プールでも泳げたし。レストランでは毎晩シタールとタブラの生演奏も聞けて、かなりプロパーなホテル滞在だった気がします。

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有名な(?)ソファーつきエレベータ

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レストラン「サファイア」
宿泊にはここの朝ごはんビュッフェが付きます。ごく普通の朝ごはんだけどなんかよかった。

ちなみにこちらが街の中心部にあるメインのパレス。外からみるとわりと落ち着いてますが、内部は派手な装飾に圧倒されます。ひとつひとつはすごく綺麗なものも多いのだけど、見学コースを歩いて行くと、どんどんたたみかけられる感覚がすごい。ラリタ・マハル同様、イギリス人のデザインらしいです。

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ラリタ・マハルとは反対側、おなじく街はずれにある元パレスのグリーン・ホテル。今はなにやらエコ・フレンドリーなホテルだそうです。ここのガーデン・レストランでワインを飲みました。

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パレス・ホテル滞在、すべてが期待通りで、予想外のことが全く起きない、不快なことが絶対ないという安心感があり、楽しかった! こういうインド旅行もあるんだなぁ。もうちょっと年を取ってお金があったら、長期滞在してみたい。両親とかにも喜ばれそうです。


posted by tamako at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | インド旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする