2009年10月29日

ネズミと薄い封筒

おかげさまで、すっかり元気になりました。と思ったら10月も終わりかけ。今週頭は、まだまだ先だと思っていたゼミ発表とか調査報告書の提出とかを何とか片付け、やっと一息つこうとしたところで、立て続けに事件発生!……そんなわけで、今も至急やるべきことはあるのだけど、興奮して手につかないので、ちょっと整理を。

昨日の夜、ひとりでパソコンに向かっていたら、台所から聞き覚えのある物音が。勇気を出して覗いてみたら、目があっちゃいました。ネズミさんと。これまで天井の薄い板をはさんでのお付き合いでしたが、ついに我が家に乱入。流しの下の壁に真ん丸の穴を貫通しての登場です。その後、トイレに行こうとしたら、トイレの中にも一匹。帰ってきたN君と一致団結してトイレから玄関まで本のバリケードを作り、つっぱり棒でつついたりして家の外に誘導しようとしたものの、作戦失敗。トイレネズミは、トイレの窓の網戸に真ん丸の穴を開けて出て行ってしまいました。あいつら、やりたい放題です。

深夜、コンビニをはしごしてネズミ対策グッズを探しにいったものの、そんな需要はないようで、何も手にはいらず。仕方なく、壁の穴に丸めたダンボールを突っ込んで(アイお勧めの尖った葉っぱも見つからなかった)、昨日は寝ました。

N君は前からネズミ対策に猫を飼いたがっており、私もこうなったら猫しかないかも、と腹をくくって、今日大家さんに話しに言ったのですが、やっぱりペットはダメ。ということで、穴には木の板を張ってもらいました。木だったらまたかじるだろうけど、「ここは自然がいっぱいだから、どうしようもないよね。別に悪さしないからね」と気楽なようす。家に穴あけて、部屋をフンだらけすることは随分な悪さだと思うのだけど、ここではそれが普通なのか。まあなんか、それなら仕方ないかもな、とちょっとネズミと一緒に生きていく覚悟ができてきました。

*****

そして、もうひとつの事件。今日の昼頃、薄い封筒が手元に届きました。これが全くの不意打ちで、予定より早く届いた某G会からの通知だったのです。そう、私が半年ほど前に泣きながら書いていたあの書類の結果です。なんか、ネズミやらなんやらで興奮状態だったところに、いきなりこんなものが届いて、さらに混乱。でも薄い封筒が届いたら不採用って聞いていたので、やっぱりダメだったんだ、いや、分かってたけどね、なんてすでに言い訳しながら開けてみると、なにやら意味不明なことが書かれています。なんか、面接なしで採用予定?とかなんとか?いきなり日本語が読めなくなってしまったので、wknちゃんに読んでもらおうと手紙を写真にとってメールする。と、文字が小さすぎて読めないと電話がかかってきたので、その場で一言一句読み上げて内容確認。というわけで実際に読んだのは私なので、まだいまいち自信がないのですが、多分、なんか、通ったみたいです。ひー、これはなんというか、おもしろがったらいいのか、どう反応したらいいのかわからず。そんなわけで、書いてみても別に心は整理されませんでしたが、ひとまず報告です。そして、ちょっと仕事に戻ろうと思います。
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2009年10月23日

清潔な暮らし

またまた間が空いてしまいました。実は先月末、無事に帰国はしたものの、それからずっと体調を壊しています。インドではまあ、相変わらずバー・カクタスに行った次の日にお腹を壊したりはしたものの、基本的には元気に過ごしていたのですが。帰ってきて疲れたのか、安心したのか、日本が嫌なのか、いつもは平和に共存できているはずの細菌やウイルスの総攻撃にあい、気持ちも沈みがちで、わりとさえない日々を送っています。

そんなわけで、私は普段からわりと不潔なほうですが、ちょっと衛生に気をつけようかと思いはじめました。手始めに、ハンカチの2度洗い。ハンカチといっても、我が家では欧米風(?)に鼻をかむのも痰を吐くのもハンカチです。(こう文字化してみると、なんか汚く感じるなぁ。すみません。)最近は二人とも風邪気味で一日中鼻をかんでいるので、こういうところから菌が蔓延しているのかも、と思い立ち、今回はN君が汚れたハンカチを二度洗いしてくれたそう。インフルエンザ予防にヨーロッパではティッシュでの鼻かみが励行されているらしいですが、うちもティッシュを導入したほうがいいのかしら。

ところで、日本は諸外国(私の中の諸外国はインドとアメリカ)に比べて、清潔信仰が強いと思っていたのですが、意外な事実を発見。実は、9月半ばから10月はじめにかけて、N君の両親が日本に来ていたのですが、お母さんが一番ショックだったことは、公衆トイレに石鹸がないことだったそうです。私はそれまで特に意識したことがなかったのですが、言われてみれば、例えば彼女が良く利用した駅とか観光地のトイレとかって、トイレット・ペーパーこそ最近置かれ始めたものの、石鹸って置いてないのです。そこで、彼女はマイ・石鹸をいつも持ち歩いて、トイレのたびにそれで手を洗っていました。

私も、去年のアメリカ滞在時にトイレについてブログに書きましたが、異国のトイレに関してはやはり細かいところが気になるらしい。

ちなみに、私の母は、N母と一緒にトイレに行ったとき、マイ・石鹸を貸してくれたことに驚いたと話してくれました。(私がインドに行っている間に、両親顔合わせが行なわれたのです)ウチの母曰く、トイレの後というよりも、外から家に帰ったときに石鹸でしっかり手を洗いたいらしい。家に帰ったら手を洗うって、独特な日本的な衛生感覚だとどこかで読んだ気がします。さすが、母。

そして、インドで私は、主にトイレで紙を使わず手で洗うし、ご飯も手で食べるので、さすがによく石鹸で手を洗います。そのほうが結果として全体的に清潔に過ごせるのかな?そんなわけで、手洗いうがいに気をつけて、元気を回復したいところです。
posted by tamako at 16:02| Comment(1) | TrackBack(0) | 小金井生活  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

こんな午後

ブログの更新がしばらく止まってしまっていました。インドに来てすぐは、いやー、やっぱり日本にいるのと違ってインドにいると書くことがたくさんあるなー、どんどん書こう、といい調子だったのですが、1ヶ月も過ぎるとまた同じになってしまった。コンスタントにブログが書ける人は、安定しているしプロダクティブだなーと感心します。今日はとりあえずヒマなので、そしてちょっとブログを書くようにというメッセージを受け取ったので、何か書くことに。いつも以上に内容はありませんよ。

さて、今回のインド滞在も残りわずかとなりました。時に激しく興奮して忙しく働き、時に激しく退屈して部屋にこもっているという、浮き沈みに翻弄された日々でした。インドが私の気性を激しくするのか。今週は、つい昨日まで、周りの人びとがくすんで見えるほどギラギラ興奮モードだったので、自分でもこんなにハイだったら後から大変だぞーとうっすらかんじていたのですが、やっぱり長続きしなかったなー。でも、ハイな間に、研究者に会ったり、いろんなところにメールを書いたり、前の会社を訪問したり、街に出る用事を済ませたり、いろいろできたので、一瞬でもそういう時期が来てくれてよかった。そのときにアレンジした約束は果たさなければならないので、あと数日はまた動くことになりそうです。

基本的にひとりで働くプロジェクトなので、自分のペースで動けるというとよく聞こえるけど、その「自分のペース」が当てにならない場合、どうしたらいいのでしょう。チームで働いてたら嫌でも働かないといけないから、実はそっちのほうが向いているのかと思ってみたり。でも本当に嫌だったらどうせ働かないと思うので、どっちでも一緒かな。

今日は午前中調査に出て、それから家にずっといたので、アイ・オズモシスが開催している英語エッセイ・コンテストのテーマに沿ってエッセイを書いてみました。なんか、でもちょっと甘酸っぱくなってしまい、しかも最近わりと真剣に考えていたことをがんばって書いて愛着がかなり沸いているのがまた恥ずかしい。なにやってるのか。でもまあ久々に英語で文章(メールとかチャットではなく)が書いてみたい、としばらく思っていたので、書き終わったら気持ちいいかと思ったけど、そうでもなかった。

こんな午後。といっているうちに日が暮れていた。明日はまた人と会うのです。朝から走って気合いれようかな。
posted by tamako at 23:21| Comment(8) | TrackBack(0) | ムンバイ生活 II | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月26日

走る、めまい、そしてお酒

今日はなかなかに刺激的な一日を過ごしました。

まず、朝6時に起きて、いつもどおりヨガで体を起こし、短パンとTシャツで外へ。2週間くらい前から、早朝のジョギングを始めているのです。ここの近所には、ムンバイとナビ・ムンバイを隔てる入り江沿いに"Mini Seashore"と呼ばれている大きめの池(小さめの湖)があって、その周りに遊歩道が作られています。そこを、朝夕、近所の健康コンシャスなインド人達がぐるぐる歩いています。歩いている人のほかには、呼吸系のヨガをやっていたり、軽く筋トレみたいのをやっている人もいます。男性はTシャツ、短パンみたいなスポーティーな服装。数は少ないものの、女性はサリーとかサルワール・カミーズとかいつもの服装にスニーカー。初老の夫婦や中年〜初老の男性数人のグループ、父親と息子などがメインです。そのなかを真剣に走っている人、特にスポーティーな装いの日本人女はかなり珍しいのですが、そこは都会だけに誰も驚く様子もなく、話しかけられることもありません。調査を忘れて、ひたすら走る。そして、汗だくになって、湖畔でラジオ体操をする喜び。家に帰ってからも、しばらくは肯定的な気分で、仕事の効率もよいのです。長く続くとは思えないけど、いまのところ非常に健全な楽しみです。

その後、ホームスティ先の家族が経営するムンバイの学校(小学校と中学校がセット)を見学することになりました。校長先生に「日本からムンバイに勉強しにきた、たまこさんです」と紹介されると、転校生だと思われたらしく、「何年生?」との質問が。その他、日本では何を食べるのか、インドは好きか、などなど質問を浴びさせられた後、子どもと手をつなぎ、高速でぐるぐる回って目が回るのを楽しむという遊びをやらされたり、子ども達に囲まれた円の中でコサック・ダンスを踊らされたりしました。

そして、タクシーでヴァシに帰りつきます。個人的にはムンバイのむさ苦しいタクシー(シートの柄とか素材までもが、常に暑苦しく不快にあつらえてあるのが不思議。例えば起毛で紫と茶色の大判花柄とか)よりも電車とかバスのほうが快適だと思うのですが、家族と移動するときは公共の交通機関を使えないという制約があるのでタクシー。それで疲れ果てた私は、ついに、来たときからずっと気になっていた謎のワインに手を出しました。ここのお家は普段お酒を飲まないのですが、なぜかずっと冷蔵庫の中に蓋の開いたワインが入っていたのです。料理用かな?と思いつつ、使っているようすもないので、の、飲みたい…・と何度か葛藤してきたのですが、今日ついに、「これ、飲んでいい?」と聞いてみました。すると、いつか分からないくらい昔お父さんが買ってきたけど、誰も気に入らなかったからそのままになっていたとのこと。試してみると、おいしい!とは言いがたいものの、これよりまずいワインはインドで何度も飲んでいるので、余裕。やっぱり人生にアルコールは必要だなぁ。

でも、こんな簡単に快楽を味わってしまったら、朝から走ったりぐるぐる回ったりしなくなってしまって、良くないのかもしれない。人生に何を選ぶのか。うーん。
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2009年08月18日

ムンバイカールの別荘ブーム

先週末は、ムンバイカー(ル)(Mumbaikar: 「ニューヨーカー」みたいなかんじで使われる。英語かと思っていたら、マラーティー語らしい。「ムンバイーティー」Mumbaiteが正式な英語だとか)の別荘地、タレガオン(Talegaon)に行ってきました。今回の滞在中、すでに二回目のタレガオンです。

タレガオンは、ムンバイから車で2時間くらいの高台にあり、緑に囲まれたのどかな場所です。高速道路から降りて村道を少し進むと、突然ゲートが立ちはだかり、なかには閑静な別荘街(ソサエティ)が広がっています。ムンバイから近いわりに、高度が高いからか非常に涼しく、夜は毛布に包まらないと寒いくらい。別荘の庭にはバナナ、マンゴー、ココナッツ、ざくろ、パパイヤなどの木が植えられていて、朝になると近隣の村から鶏の鳴き声が聞こえてきます。

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友達の別荘(「平和と吉祥の家」という名前がついています)

友達のお母さんが4年前にホリデーハウスand老後の住まいand/or投資のために購入したというこのバンガロー(一軒家のこと)。旦那さんは関与せず、奥さん一人で計画したプロジェクトだとのこと。購入時は170万ルピー(当時の日本円だと430万くらいか)だったそうですが、今なら4倍の価格で売却できるのだとか。これからも土地の価格はどんどんあがるからということで、娘である私のひとつ下の友達も、昨年、こちらは主に投資用に、別の高台にある新開発された別荘地にローンでフラットを買ったそうです。投資のために家やフラットを買うというのはどうやら流行っているらしく、NRI(在外インド人)の投資用の高級高層マンションもムンバイ郊外にがんがん建てられています。NRIは高くても質のいいものを求めている、ということで、広大な敷地に豪華な建物が建てられ、実際はそこには誰も住まない。そしてその周りにはスラムが広がって……という、まあよくある対比ですがやっぱり不思議なかんじ。

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タレガオンの風景/建設中の別荘ソサエティ

そんなわけで、4年前には山と川と小さな村しかなかったタレガオンにも、団地みたいにぼこぼこ別荘が建設されつつあります。別荘購入時には360度緑が広がっていたそうですが、今では窓から至近距離で建設現場ヴューが臨めます。早朝の鶏が鳴きやむと、ブルドーザーがゴーゴー唸りだし、肉体労働のおじさんたちがせっせと土を運んでいる、というムンバイ各地で見られるおなじみの光景。わざわざ別荘地に着てまでコンストラクション・サイトかぁ。そもそも緑豊かで静かな場所に別荘を買ったのに、騒音に悩まされ、景観は損なわれ、これじゃあホリデー・ハウスとしての価値が台無しじゃないのかと心配になるものの、当人たちは大して気にしてない様子です。

お母さんいわく、4年前には休暇に遊びに来ても、周りに人が誰もいなくてさびしかったのだそう。今では、夫婦それぞれの職場の友達も同じ別荘地にバンガローを購入し、週末に遊びに来ると必ずムンバイから他の家族が来ています。さらに、隣に建設中の新ソサエティが完成すると、もっと賑やかになってよいとのこと。まあ、自分の別荘購入は正しかったのだと言い聞かせている部分もあるのかもしれないけど、家族や夫婦だけで、人里離れた自然のなかでゆっくり過ごしたい、というよりは、まわりに同じようなタイプの人々がいてくれたほうが安心だという気持ちが強いみたいです。また、せっかく田舎に来たんだから、山とか川とか近所の村を散策したい、と思っても「散歩に行くのはいいけど、危ないからソサエティのゲートから出てはダメよ!」とのこと。仕方なくひとりで50件ほどの別荘が立ち並ぶ住宅街の内部を数分うろうろして帰ってきました。家族はというと、ベランダでつくろいだり、昼寝したり、音楽を聴いたりして過ごしています。水や食べ物はすべてムンバイから持ってきて、お母さんは地元のメイドを使っていつもどおり食事の準備をしています。

そんな、別荘で過ごす週末。ブルドーザーの騒音とムンバイから押し寄せる家族連れがいなければ、浮世を離れてここでしばらく過ごすのは素敵かもしれない、と思うものの、やっぱりさびしくなるのかな。ムンバイの喧騒からは離れたい、けど全く離れてしまうのはさびしい、というムンバイカールたちの理想の週末がここにあるのでしょうか。
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2009年08月17日

祝・カラオケ世界新記録!

先日、本を買いにいったのは、2007年に華々しくオープンしたパーム・ビーチ・ギャラリアという大型ショッピング・モールで、ムンバイのモールならどこにいってもあるようなチェーンのブランド服や本屋、カフェやフード・コート、映画館などが入っています。同時期に、このモールの隣にもモールがオープンし、今またその隣にモールが建ちつつあります。2008年にはVashi駅の近くにふたつ大型モールができました。こんなにモールを建てているものの、どこのモールも中身が似たり寄ったりだし、基本的にお金持ちしか買い物できないため、経営状況はあまりよくないのだとか。確かに、開店当時、他に行くところがなくてわりとよく遊びに行ったパーム・ビーチ・ギャラリアも、先週行くとシャッターが閉まっている店がたくさんありました。

そんな斜陽感の漂うモールにて、館内に鳴り響いていたのは、大音量のカラオケ。このモールではよくある催しのひとつなのですが、エントランス前の広場にステージが設けられ、そこで一般人がボリウッド・ソングを熱唱するのです。そして、参加者全員歌が下手。あー、またやってるなー。と冷ややかに一瞥してその場を足早に立ち去ったのですが、後日、新聞を見てびっくり。

Hindustan TimesとThe Times of Indiaの両紙が、Vashiのパーム・ビーチ・ギャラリアにて、カラオケ・マラソンがギネス・ブックの新記録を達成したと報じていたのです。2009年8月12日午後4時10分、インドは中国の19日間(456時間)耐久カラオケの記録を更新。「記録が破られた後も、参加歌手たちは愛国歌を歌い続けていた」のだそう。そして、まだまだ続けるという主催者の意気込みが表明されていました。

ちなみに、その時買った本*のひとつに、偶然ギネス・ブックに固執するインド人についてのエッセーが載っていたので、今ざっと読みました。一説によると、ギネス・ブックの記録申請者の5人に1人がインド人なのだそう。ギネス記録を作ったインド人は「インド世界記録保持者クラブ」のメンバーになれて、自らも記録保持者であるクラブの会長は自分の名前をハルプラカーシュ・リシからギネス・リシに変えたそうです。このエッセーでは、片足で立ち続けるサドゥーとか爪の長さ世界一のようなエキセントリックなインド人像や、針に糸を通した回数世界一とか米粒に書いた文字数世界一という女々しいインド人像といったオリエンタリスト的な表象を、インド人自らが積極的に再生産しているようにみえる現象に注目して、それがラジヴ・ガンディー以降の国家の近代化政策と同時期に活性化したことを指摘して、画一的なモダニティへの抵抗みたいなかんじでまとめられていました、と思う(1995年に書かれたものですからね)。

それにしても、ギネス・ブックって最近あまり聞かない言葉ですが、本屋とかで売っているんですか?誰が買うんだろう?しかし、インド人って確かにちょっとエキセントリックな人が多いし(オリエンタリスト?)、ギネスで世界一っていう響きがすごくよく似合うなぁ。

とまあ、とにかくわが町Vashiが、日本ゆかりのKaraokeで世界記録を達成したというご報告でした。おめでとうございます!

* Lal, Vinay 2003, “Indians and the Guinness Book of Records: The Contours of a National Obsession” in Of Cricket, Guinness and Gandhi: Essays in Indian History and Culture, Penguin Books.


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2009年08月12日

断食トリート

インドではいろんな場面で「今、断食中」という人に出会います。断食なんて、なかなかストイックなかんじだし、体内をきれいにするとかいって欧米でも流行っていたりするようですが、こちらの断食はどうも様子が違うようです。

先日、助手のラジェンドラ君が断食中だから、ということで、お母さんがアイスクリームを勧めていました。え?アイスクリーム食べていいの?と聞くと、アイス、ミルク、パニールなどの乳製品はOKだそうです。その他、バナナ・チップス、ポテト・チップスなどのスナックや、果物、ナッツも断食時の食べものだとか。じゃあ一体食べたらダメなものは何か聞いてみると、ライス、チャパティ、ダール、野菜など、日常食が禁止になるらしいです。

ここのお母さんの分析では、断食中は食事を絶つというよりは、むしろ普段食べないものを食べる期間だとのこと。例えば、乳製品はもともと子どもや病人にしか食べさせられない特別なもので、健康な大人は断食中にしか食べられなかったのだとか。また、旦那さんの地元ケララのコンクニ・コミュニティでは、米が主食で普段チャパティは食べないので、断食中にチャパティを食べるのだそう。

ちなみに、私のホスト・ファミリーは、断食とか「リチュアリスティックなこと」は一切しないそうです。お母さんいわく、仕事をしている人は断食とかするべきじゃない、とのこと。(ラジェンドラのほうを見て、あんたのこと言ってるんじゃないわよ、と断りつつ。)職場でも、「断食中で普通のものは食べられないから」といって、お手伝いの誰かにミルクを買いに行かせたり、余計な手間がかかると不満をもらしていました。

ヒンドゥー暦のSharavan月(今年は7/22から8/20)は断食+ベジ月らしく、普段ノン・ベジを食べるラジェンドラは、一ヶ月肉食を絶ち、月曜と木曜に断食するとのことです。つまり、週に二日はお菓子の日。野菜やご飯を食べずにお菓子のみをぼりぼり食べるなんて体に悪そうですが。そんなわけで、私はご飯をしっかり食べた上に、彼のチップスとアイスクリームにも付き合うことにしています。
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2009年08月10日

ダヒ・ハンディでトロフィー贈呈

昨日、日曜日だったのでモールに行って、本やDVD、MP3などを買い込んで興奮しながら帰り道を歩いていると、道に迷い、たまたま近所のダヒ・ハンディの準備会場を見つけました。

――ダヒ・ハンディ(ヨーグルト壷)とは、クリシュナの誕生日(今年は8月14日)に行なわれるイベントです。地上6メートルくらいの場所にロープで壷をつるし、組体操のように青少年達がピラミッドを作って、一番上に登った子どもが壷を割るというもの。私の聞いた話では、ヒンドゥの神様のクリシュナが子どものころ、乳絞りの女達が村の牛から取れたミルクを町の市場に持っていってしまうため、村の子どもがお腹をすかして泣いているから、町に売りに行くためのミルク壷を割ったというところからこの壷割り行事が始まったそうです。――

周りには、私の今回の調査計画に登場したローカルな極右政党の看板が。ダヒ・ハンディおめでとう、本当に心から祝うよ!なんてことが書いてあります。この政党の青年部が中心となってピラミッド・イベントを開催しているらしい。様子を見ていると、政党のTシャツを着た青年達が集まってきて、夜の8時くらいから始まるから見においでと誘われる。

ダヒ・ハンディ予行練習.jpg
*写真の上のほうに小さく写っているのが壷です。

一端家に帰ってこの話をすると、夜で心配だからといって、友達のお母さんがついてきてくれることになりました。(ついに外出!)ふたりでよちよち歩いて会場にたどり着いてみると、インド風ダンス・ミュージックの重低音が鳴り響き、MCが実況中継をするなか、すでに人間ピラミッドが出来上がっていました。男の子が壷を割ると、ひときわ音楽が激しくなり、係りの人がピラミッドと周りの群集にホースで水をかけ、みんな濡れながら踊ります。<ピラミッドを組む→壷を割る→音楽・水・ダンス>というのが一セットで、各地区から集まったグループが順番に練習の成果を披露していきます。

人間ピラミッド.jpg 水ダンス1.jpg 水ダンス.jpg クリシュナ少年.jpg
*ピラミッド、腰を振りながら水をかける人、ダンス、クリシュナ少年とトロフィー

私が写真を撮っていると、隣にいた青年に、そんなところで撮ってないでステージに上がったら?と声をかけられる。ステージ上には、偉そうなおじさんたちが座る来賓席みたいなのが設けられ、クリシュナに扮した少年が黙ってクールに喧騒を見守り、奥にはDJブースがあります。しばらく話していると、青年が後ろにいた私の友達のお母さんの存在に気づく。なんと、彼は大学教員であるお母さんの元生徒だったのです。しばし再会のあいさつを交わしたあと、他の生徒達もいるから、と紹介される。実は、MCをしている青年を含む、極右政党青年部の中心人物の数人も、彼女の元生徒たちでした。彼女が、私のことを「日本からマラーティー文化を勉強しにきた」と紹介すると、みんなに歓迎され、MCにその旨をアナウンスされ、ステージ上の来賓席に座らされることに。そこで私は、壷を割った少年達にトロフィーと賞金を手渡す役を演じることになりました。

その後、偉そうな人たちと一緒に、なぜかバラの花とココナッツをもらい、会場を後にする。この日は練習だったので、本番の日にも参加して、その後青年部の人びとにお話を聞く機会が持てそうです。なかなか、偶然にしておもしろい体験ができました。先生はすごいな。
posted by tamako at 20:57| Comment(4) | TrackBack(0) | ムンバイ生活 II | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月08日

メイドのいる生活

私がホームスティしている家庭には、朝夕ひとりづつメイドが来る。私の友達は自宅でフリーランスの英文校正をやっていて、お母さんは大学の経済学のパートタイム講師だけど今は仕事を休んでいる。二人とも家で自由にしている時間がかなり長く、気分転換に家事くらいしたらいいのに、と思うけどそういう問題ではないらしい。さらに、野菜やスナック、ミルクなどは配達してもらうので、買い物に出る必要もない。コピーをとったりちょっとした用事があるときは、そのへんのお手伝いさん(私の助手とか)にひとっ走りしてもらう。ここの家族は全員仕事を持っているし、決して閉ざされた生活をしているわけではないのだけど、それでも物事は吉祥なる家の中でかなり完結しているようにみえる。職場や学校に行ったとしても、そこもまた特定の人しか集まらない場所だし、移動には公共交通ではなくリキシャやタクシーを使う。外の世界にさらされる危険から最大限に守られているのだ。こういう家で生活してみると、満員電車の二等車両でもまれて移動したり、道端で買い食いしたり、おっさんに混じってひとりでタンドリーチキンをつまみにビールを飲みに行ったりという、以前は普通にやっていたことがちょっと信じられないような別世界の話に思えてきて、また特にそういうことがしたいとも思われず、この短期間ですでに自分がバラモン娘化しているのを感じます。

さて、メイドの話。朝、家族や私が普通にお茶を飲んだり歯磨きしたりしている狭間を、体の大きさがここのお母さんの3分の1くらいしかないガリガリで小さなメイドのおばあさん(に見えるけど実は結構若いのかもしれない)が、無言で這いつくばって床を拭きつつ移動する姿は、自動掃除機が勝手に床掃除をしているかと思ったら実は人だった!ってかんじで、最初はいちいちギョッとしていたものの、そのうち慣れた。このおばあさんは、誰もいないと思ってキッチンに行くと、床の端っこに小さく座り込んでお茶を飲んでいたりして驚かされます。

メイドはこんな風に気を消して働くものなのかと思っていたら、そうでもない。夕方に来るメイドは、22年間この家で働いているという人で、大きな声でよくしゃべるし、家族と一緒に今のソファーに座ってお茶も飲む。やっぱり小さくてガリガリなおばあさん(に見える)だ。

こんなふうに、掃除、洗濯、食器洗いと料理の下ごしらえをメイドさんがしてくれて、お母さんが料理の仕上げとかお茶を入れたりとかしてくれる。非常に楽である。自分でメイドを雇うとなるとめんどくさいこともあるだろうけど、居候のうえに家事はメイドがしてくれるなんて、楽さこの上ない。

しかし、そんな生活にも危機が訪れた。メイドは二人とも同じ隣町のスラムからバスで通っているのだが、そのスラムで悪い病気でも流行っているのか、しばらく調子が悪そうで、ある日、ついに二人とも来なかったのだ。おかげで洗濯物や洗い物はたまり、部屋は汚れ、その日の夕食はサブウェイ(ちょっとファンシーな食べもの)のデリバリーだった。まるで停電したとか水道が止まったとかいうのと同じように、メイドがいないと日常生活が成り立たない。

さて、どうしよう。私が掃除とか洗濯するのはかまわないんだけど、それってありなのか。と様子を伺っていたら、次の日にはすでに違うメイドが手配されてやってきた。代わりはいくらでもいるのだ。ムンバイでは電気よりメイドの供給のほうが安定しているかもしれない。

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<おまけ>
ラクシャ・バンダンのラキをつけた助手・ラジェンドラ氏の腕。これをつけて普通に生活しています。
Rajendra - Rakhi.jpg
posted by tamako at 00:47| Comment(4) | TrackBack(0) | ムンバイ生活 II | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月07日

ラジェンドラの英語――インドの英語ミディアム教育

前回、インドでは教師が学校に来ないから、学校を出ていても文字の読み書きが十分にできない人がいるということを書いたのですが、それに加えて「英語ミディアム」教育がますます話をおかしくしている気がします。

ムンバイでは、小・中学校まではマラーティー語、ヒンディー語、グジャラーティー語などのインド諸言語で授業を行なう学校もたくさんあるものの、高校にあたるHigher Secondary School(2年間)からは、ほぼすべての学校が英語ミディアムになってしまうそうです。それまで日本と同じように科目のひとつとして英語を習っていた子たちも、否が応でも英語ミディアム校に行くしかありません。しかし、いきなり英語の授業を受けさせたからといって英語ができるようになるとは思えない。結局英語もできず、授業内容も分からずに卒業している生徒たちが大半だとみています。(もちろん、小学校からエリート校でびっちりと教育を受けたエリートな人たちは別ですが。)

実際、私の助手のラジェンドラ君は、英語ミディアムの高校を出て、英語ミディアムのカレッジ(卒業試験には受からず)まで行っていたくせに、よっぽど想像力と忍耐力が豊かな人としか会話が成り立たないような、むちゃくちゃな英語を話します。文法はほぼ壊滅的なのですが、そこには独自のルールのようなものも見出せます。例えば、“I have write.” は未来形で、“I has to write.”が過去形。(なぜがうしろにtoがつくときはhaveがhasに変化するよう。)しばらくは、時制なんて日本語にもほぼないし、文脈で理解できるから私があわせればいいや、と気にしないように努めていました。しかし、聞くと英語ミディアムの学校では英語でつらつらと授業が行なわれるだけで誰も彼に英語を教えたり彼の英語を直したりしてくれなかったらしいし、これから先も英語を学ぶ機会なんてないんだろうと思い、彼の将来のために今日ちょっと時制について教えてみました。基本的に、過去形には動詞の後にedがつくんだよ、未来形は云々で、"have to"をつけると意味が変わって、ということをヒンディー語の変化の例を挙げて説明すると、理解できたのかどうかはともかく、初めて聞く話のように「おおーそうだったのか!」と開眼したようすでした。ほんと、一体何を勉強してきたのか…。

彼は母語のマラーティー語の他にヒンディー語と英語ができるという触れ込みで紹介されたので、通訳として働いてもらおうと思ったのですが、まあこのとおり通訳としてはかなり問題ありです。その他、メモがとれないとか、理解力がいまいちとか、助手としても微妙です。が、毎朝定時に私を迎えに来てくれて、調査に引っ張り出してくれるので、よいペースメーカーとなっています。それに、怖い顔のインド人商店主に話しかけるのにもふたりだと心強いし。あと、私が機嫌が悪かったり落ち込んでいてもかまわず「日本にもカラスはいるのか?」とか「ほら、あれは銀行だよ!」とか話しかけてくれて、あげく唐突に大きなゲップをおみまいしてくれるような気楽さもよいと思います。旅は道連れ世は情け。

そんなわけで、私のヒンディー語とラジェンドラの英語の力を合わせて怪しげな調査が進行しています。(まあ、これはあくまで「予備調査」だから。現地の雰囲気を感じればいいのだ、と信じている。)商店街の人たちも、母語はマルワリ語だったりグジャラート語だったりカッチ語だったりするので、共通語であるヒンディー語でしゃべっていてもみんないいかげんなものです。ラジェンドラのはちゃめちゃな英語でも、相手は特に疑問にも思わず理解しているみたいだし、多言語社会ってのは奥が深いです。

でもやっぱり、ラジェンドラがマラーティー語の高校にいっていたら、もうちょっと教養がついた気がするのですが…。
posted by tamako at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ムンバイ生活 II | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする